氏名 栁沼 英夫(高校25期)
作品名 神奈川県立希望ケ丘高等学校 金沢仮校舎を望む 昭和25年秋
画材 絵画
コメント 昭和20年5月29日、横濱大空襲で、母校校舎は焼失した。7月2日、戸部国民学校校舎の一部を借用して授業を再開。
昭和21年4月13日、金沢仮校舎に移る。旧第一海軍航空技術廠青年工員養成所寄宿舎跡を借りて、仮校舎として使用。
昭和23年4月1日、神奈川縣立横濱第一髙等學校と改称。昭和25年4月1日、神奈川県立希望ケ丘高等学校と改称。
以上のように母校の歴史の中でも苦難の時期の校舎を描く。背景の山は、能見堂、称名寺の方角である。
手前の平潟湾は、後に埋立られ、柳町となった。名勝=金沢八景の面影を見ることができる。
氏名 栁沼 英夫(高校25期)
作品名 神奈川縣立第一横濱中學校 校舎全景(1922年10月)
画材 絵画
コメント 母校の藤棚校舎の全景です。木村繁四郎校長をはじめ、恩師の方々のご尽力で、補強改修工事が完成した頃の情景です。
翌年大正12年9月1日、関東大震災で、校舎は半壊、全壊という悲運に遭遇しました。
2度の悲運を乗り越えて、現在の希望ケ丘高校は、全人教育の伝統を引き継いでいます。
まさに不死鳥です。「寧静致遠」「クラーク精神」そして、フェニックスの伝統の力を、この絵を描きながら、実感しました。
尚、校舎は中央から上の狭い部分です。手前は、隣接する民家(茶色の屋根)、および防水布工場です。野尻抱影(中學2回卒)氏の木村先生宛ての手紙で、判明しました。